「ポータブルWi-Fi」レビュー
25/03/2022
はじめにディスプレイ、あるいはスマートフォンの電源を消してほしい。暗闇になった画面で、鏡のように映る自分の顔を見つめてほしい。虚しく感じただろうか? Netflixの人気ドラマ「ブラック・ミラー」というタイトルは、人々が我を忘れ、モニターを見つめる姿を皮肉ることから名付けられている。
一話完結ドラマである「ブラック・ミラー」は、人間が自由意志によってテクノロジーを制御できることが幻想にすぎないと、シリーズを通して一貫して語っている。テクノロジーが人類の欲望を引き出し、行動を促す虚しさを描き続ける。果たして人間は自由意志によって、テクノロジーを使っていると言えるだろうか?
『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』(以下、『バンダースナッチ』)も、同じくテクノロジーと人間の自由意志の関係がテーマの物語といえるだろう。だが今回は特殊だった。視聴者が物語を選ぶ、インタラクティブドラマというだけではなく、過去のビデオゲームが題材だからだ。
1984年イギリス。ゲームクリエイターのステファンは『バンダースナッチ』という小説をゲーム化しようとしていた。“物語の選択”をテーマにしたゲームデザインを考えており、アイディアをゲーム会社・タッカーソフトに持ち込む。ドラマが重要なポイントになると、「この会社と一緒にゲームを作るか? それとも1人で作るか?」というふうに、視聴者にはステファンの行動を決める2択の選択肢が与えられる。
ゲームを制作するなかで、ステファンは家族の問題や、タッカーソフトとの関係など、多くの選択肢にぶつかる。視聴者がステファンの行動を選択していくことで、次第に現実か幻想かが曖昧な展開へとなだれ込んでいく。果たしてステファンは、自由意志によって行動しているのだろうか?
ビデオゲームが進歩する上で、物語をゲームデザインにどう組み込むかは重要なテーマである。いまだに最適な解決は出ていないが、プレイヤーが自由意志によって、物語を選択していくデザインは長い歴史のなかで求められてきた。
この10年ではTelltale Gamesが人気ドラマをゲーム化したシリーズ「The Walking Dead」が代表的なタイトルだろう。ゲームオリジナルのストーリーだが、プレイヤーはあのドラマの世界観でどんな物語を選択するかを選択していく。
このゲームのヒットにより、「ゲーム・オブ・スローンズ」といった人気ドラマや「バットマン」などの人気コミックを、同様のゲームデザインで次々と制作していく。Telltale Gamesはビデオゲームの歴史上で、プレイヤーが自由意志によって物語を選択するインタラクティブドラマを商業的に成功させたひとつだといえるだろう。
ほかにも『The Stanley Parable』のように、物語の選択やプレイヤーの自由意志をパロディにするような作品もリリースされたが『バンダースナッチ』ではいささか倒錯している。「ブラック・ミラー」シリーズは、ドラマというジャンルからビデオゲームの物語選択をテーマにしているからだ。今回の『バンダースナッチ』が舞台を80年代のビデオゲーム業界に設定したのは、いかにして現代のビデオゲームが物語の選択に取り憑かれてきたのかを指摘することにほかならない。
『バンダースナッチ』は、“物語の選択”というものがビデオゲームで発達したテクノロジーの皮肉にすぎないと風刺する。ビデオゲームが目指した物語の選択とは、本当にプレイヤーの自由意志を尊重するものと言えただろうか? あくまで自由意志で選択していると錯覚させるだけではないのか? すべての可能性を見るために、何周もゲームをやり直すとすれば、結局初回プレイで選択した重みは何だったのか?
『バンダースナッチ』で提示される選択肢は、正直なところまったく面白くない。Telltale Gamesのように、視聴者に「どちらを選んでも最良の結果になり得ない」、トロッコ問題のような緊張感を与える選択肢がないからだ。おまけに2択しか提示されず、選択を間違えるとすぐにバッドエンドになる理不尽さもあり、バッドエンド回避の伏線も事前にはわからないのだ。 ビデオゲームとして『バンダースナッチ』をプレイしたとすると、欠陥だらけである。ではループする映画として見ればどうだろうか? 『恋はデジャ・ブ』や『ミスター・ノーバディ』といった映画は、同じ時間を繰り返したり、時間を遡り、違う選択肢を選んだ人生を描いて見せる。ループ映画の観点からすれば、『バンダースナッチ』はそれらの映画に近い。視聴者がバッドエンドを選ぶことが織り込み済みであり、やり直す時に丁寧なリプレイシーンが挿入されるからだ。
だがビデオゲーム側、映像作品側で評価する言葉のどちらも、『バンダースナッチ』を評するには正しくない。
おそらく『バンダースナッチ』が行ったインタラクティブドラマという試みは、視聴者に物語を選択する自由を与えることではない。ビデオゲームが過去30年で作り上げた、物語を選択するテクノロジーそのものが、どのように人々を翻弄させるかだ。
本作で物語を選択するテクノロジーに翻弄され、迷宮の中に迷い込んだのはゲームクリエイターのステファンではない。主人公は別にいた。そう、本作の視聴者である。
膨大な視聴者が『バンダースナッチ』の仕掛けに驚き、途中に存在する謎解きまで必死に解きながら、何度もバッドエンドになりながらグッドエンドへの分岐を探した。ビデオゲームを題材としたことで、数多くのゲームメディアも注目し、レビューした。そのすべてが『バンダースナッチ』そして「ブラック・ミラー」シリーズが風刺する、“物語を選択する”テクノロジーに行動を促された人々の虚しい姿である。
インタラクティブドラマの試みは作品世界と現実世界を繋げることでもある。そう、膨大な『バンダースナッチ』真の主人公たちが、本作をやり直したり、批評したり分析したりすることで『バンダースナッチ』の続きを演じている。ここまでの文章もレビューではない。続編である。このテキストによる続編の結末は、<判定>が書かれ、スコア8.0が提示されることで終わる。