「ポータブルWi-Fi」レビュー
25/03/2022
昨晩けっこうな量のニンニクを食べたのをすっかり忘れていた。今の自分はひょっとしたら少しばかりエチケットに欠ける存在であるのかもしれない。生憎、ポケットのミントタブレットは切らしている。近くのコンビニで買おうかとも思うのだが……。
まだまだ予断を許さないコロナ禍だが、今回の災禍が我々の社会生活に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。少なくない職場や学校が“リモート”になったという事実は、人々の世界観を根底から変える体験になったかもしれない。会社や学校に行かなくてもいいという事態を味わうことなど、戦時中に匹敵する人類史レベルのレアな体験であるともいえる。
新宿区某所からの帰路に山手線を高田馬場で降り、昼下がりの早稲田通りを歩く。まだまだ寒い日が続くがたっぷりと陽光が降り注ぐ快晴の空で気分も晴れる。これからまた移動しなければならないのだが、時間もあるのでどこかで遅めの昼食にしてみてもよいのだろう。
※画像はイメージです(筆者撮影)
通りの飲食店を眺めながら何にしようかと食べ物のことに考えを巡らせると、昨晩はけっこう大量のニンニクを食べたことを思い返す。ガーリックバターソースを利かせたステーキに加えて、バターで炒めた粒のままのニンニクを何個も口にしていたのだ。
今朝は特にブレスケアはしてこなかったのだが、ひょっとすると今の自分からはかなりのニンニク臭が放たれているのかもしれない。自分ではなかなか気づけないことだ。
運の悪いことに上着に常備してあるミントタブレットのケースの中は空である。もちろん空になったことは把握していたが、タイミングを逸して買いそびれていたのだ。
仕方がない。どこか近くのコンビニで買うことにしよう。通りの先にコンビニが見える。足早に向かうことにする。
……歩みを緩めた。何も急いで買いに行かなくてもよいことに今さらながらに気づく。今の自分はマスクをしているのだ。そして今日これから対面することになる人物もきっとマスクをつけているはずだ。よほど強烈なニンニク臭ではない限り、そんなにナーバスになる必要もないように思えてくる。
そう気づくと、コンビニに入る気も失せてきた。コンビニの前を素通りして通りを先に進む。少し進むと見えてきた左手に延びる一方通行の路地に足を向けることにした。この一帯もけっこうな数の飲食店がある。界隈のどこかの店に入ってみてもよいのだろう。
※画像はイメージです(筆者撮影)
社会生活を送る人間としては周囲に不快感を与えることのないよう気を配らなくてはならない。しかしコロナ禍の“不幸中の幸い”と言ってしまっては語弊があるのかもしれないが、生活の中で楽になったことの1つに、マスクの装着が前提となったことで口臭や体臭を以前ほどシビアに気にしなくて済むようになったことが挙げられる。マスクによって身の回りは総じて匂いに鈍感になったともいえそうだ。
そしてもちろん、一部の人々は通勤や通学もしなくて済むケースが出てきて、実際に身体的にも気分的にも社会生活が楽になっている人々も少なくなさそうだ。これまであった必要のないストレスが可視化されたという意味ではコロナ禍は全部が全部、悪いことばかりではない。
通りにはインド&アジア系料理の店やラーメン店、人気のあるとんかつ店などいろいろあるのだが、いずれも今の胃袋に訴求してこなかった。もう少し先を進んでみたい。
仕事や学業の“リモート”といい、マスクといい、実は今の我々は戦時中にも見られたような人類史レベルの社会の変化を体験しているのかもしれない。その是非はともかく、それまでのものの見方や世界観がガラリと変わる体験は実に新鮮で興味深いことだろう。
最近の研究でも物事の見方が劇的に変わる体験は「心理的な豊かさ」に通じていることが示唆されている。この「心理的な豊かさ」は、快楽的幸福や有意義な幸福とはまた違った幸せを人生にもたらすというのである。
心理学は通常、快楽的または有意義な幸福の観点から良い人生を概念化しています。
私たちは心理的な豊かさが、人々が良い人生と考えるもののもう一つの無視されていた側面であることを提案します。幸せで有意義な生活とは異なり、心理的に豊かな生活は、さまざまな物事への興味と視点を変える経験によって最もよく特徴付けられます。
さらに心理的に豊かな人生の予測因子は、幸せな人生や有意義な人生の予測因子とは異なることを提案し、心理的に豊かな人生を送る人々は、より好奇心が強く、より全体的に考え、より政治的リベラルに傾く傾向があることを示唆する証拠を報告します。
※「APA PsycNet」より引用
米・バージニア大学とフロリダ大学の合同研究チームが2021年8月に「Psychological Review」で発表した研究では、調査を通じて“良い人生”は必ずしも幸せであったり有意義である必要はなく、「心理的な豊かさ」が重要な要素であることを報告している。この「心理的な豊かさ」は世界観や人生観の劇的な変化を体験することでも醸成されるということだ。
これまでの心理学において、人生の幸福を測定する指標として、自己の欲求に基づく快楽的幸福(hedonic happy)と人生にとって意味のある有意義な幸福(eudaimonic well-being)の2つが採用されていた。しかし今回、研究チームはその2つとは異なる指標として、新たに「心理的な豊かさ(psychologically rich)」という概念を提案したのである。「心理的な豊かさ」は快楽的幸福や有意義な幸福とは異なり、「さまざまな関心」と「観点の変化を伴う体験」に最も関連しているということだ。
研究チームは1336人の大学生を対象とした3つの調査で、人々が「心理的な豊かさ」を快楽的幸福と有意義な幸福とは別のものとして認識していることが確かめられた。つまり“第3の幸福”が概念化されたのである。
「心理的な豊かさ」を醸成するものとしては、世界観や人生観を劇的に変化させる体験や、さまざまな物事への興味関心、そして時には不快感や嫌悪感を許容する瞬間なども含まれるという。
もちろん従来の快楽的幸福と有意義な幸福も人生の満足度に強く関係しているのだが、決して少なくない人々が快楽的幸福と有意義な幸福よりも「心理的な豊かさ」を上位に置くことを選んでいることも浮き彫りとなった。調査によればドイツ人の16.8%、インド人の16.1%、韓国人の15.8%、日本人の15.5%が快楽的幸福と有意義な幸福よりも「心理的な豊かさ」を優先すると報告している。
快楽を味わったり、意義深さを体験することはもちろん人生の満足度を高めてくれるが、それに勝るとも劣らず我々は新奇性やこれまでの固定観念を覆し考え方を改める“新たな視点”から幸せを感じるということになる。その意味で皮肉にも“新たな視点”を次々と提供してくれるコロナ禍は、我々に「心理的な豊かさ」という“第3の幸福”を気づかせてくれる良い機会であるのかもしれない。
通りを進むと神田川を跨ぐ橋にたどり着く。橋を渡ってしまえば住宅街の様相が色濃くなる。橋を渡らずに左折して川沿いの道を進むことにした。ここにも飲食店はけっこう軒を連ねているのだ。普段はあまり来ないエリアであるだけに、どうせなら何か珍しいものを食べてみたい気もしてくる。
※画像はイメージです(筆者撮影)
我々は意外にも世界観や人生観を変え得るような“新たな視点”を求めていることになるのだが、そこにはどんな理由があるのだろうか。研究チームによれはそこには過去の失敗や後悔から立ち直りたいという望みが仄見えるということだ。
快楽的幸福と有意義な幸福よりも「心理的な豊かさ」を上位に選ぶ者の約3分の1が、過去に体験した人生の最大の後悔を取り消したい思いが「心理的な豊かさ」を求める気持ちになっていると回答しているという。つまり“新たな視点”を得ることで過去の失敗を別の角度から眺め、結果的に後悔を打ち消すことが期待されているのだろう。
遅刻や無断欠席で叱責された過去の苦い体験も、無理して学校や会社に行かなくてもよいという世界では笑って水に流せるものになるかもしれない。“新しい視点”によって過去が“書き換わる”ことにもなる。
川沿いを歩いているとガラス貼りの壁と赤い扉のなかなかお洒落な店が見えてくる。てっきりカフェのような店かと思っていたが、店の前に来て掲示されているメニューをみると中華料理店であることがわかった。扉の前に置かれた立て看板には「本格湖南料理」とある。いかにも珍しいものが食べられそうだ。入ってみよう。
思ったよりも広い店内だ。4人掛けのテーブルがいくつも配置されていて、中華料理店というよりもファミレスに近いレイアウトだ。席の7割程度は埋まっている。お店の人に案内されて4人掛けのテーブルに着かせていただく。
席に着いてすぐにわかったのは、店員さんをはじめお客さんも中国の方々しかいないことだ。どうみても日本人は自分だけである。しかしやはりここは日本だ。テーブルに置いてあるランチメニューの表には日本語の表記もある。不安になることはまったくない。
15種類も列挙されたランチの定食メニューをさっそく検討する。麻婆豆腐や回鍋肉などの馴染みの定食もあるが、いくつかのメニューにある「木桶ご飯」の文字が気になる。木桶に入ったご飯が出てくるということなのだろうか。珍しいものが食べたいと思っていた矢先だったので願ったり叶ったりだ。「豚肉と目玉焼き炒め木桶ご飯」を注文する。近くのお客のテーブルにも“木桶”が置いてあるのが見える。人気メニューのようだ。
湖南料理の店については以前、同じく高田馬場ではあるもののここからは少し離れた場所にある別の店に入ったことがあるが、その店では「木桶ご飯」はなかったはずだ。決して大げさではなく、人生初のメニューということになる。“新たな視点”は得られるだろうか。
料理がやってきた。確かに“木桶”だ。しかし木桶の内側はステンレス製の鍋になっていて、日本の“おひつ”のようなものではなかった。
※画像はイメージです(筆者撮影)
スプーンで豚肉とご飯を少し混ぜてからさっそく食べてみる。濃厚な味付けでご飯によく合っていて美味しい。甘辛いタレに絡まった豚肉と、粒のままのニンニクがゴロゴロと数多く入っている。昨晩に続いて引き続き今日もニンニクにめぐり合うことになった。
ゆっくりと食べる料理ではないように思えた。スプーンでどんどんと食べ進め、ニンニクの粒を口の中で豪快に噛み砕く。まったく初めての食体験で、自分にとって中華料理における“新たな視点”が得られたことは間違いない。中国人シェフが在日中国人のために作っているという、いわゆる“ガチ中華”でしか得られない体験ということになるだろう。
昨晩に続くニンニクの大量摂取でもはやブレスケアなどナンセンスになってしまった感もあるが、この先も人に会う仕事が残っている。食べ終わったらやはりコンビニに寄ることにしよう。
文/仲田しんじ