8年ぶり改訂の「医薬品産業の政策指針」に盛り込まれた異例の文言

8年ぶり改訂の「医薬品産業の政策指針」に盛り込まれた異例の文言

厚生労働省は医薬品産業の政策指針「医薬品産業ビジョン2021」を策定した。2013年以来8年ぶりの改訂となる。世界の創薬開発競争が激化するなど医薬品産業を取り巻く環境が変化する中、革新的な創薬開発の体制を整備し、医薬品の品質確保・安定供給による質の高い医療提供を目指す。実現には企業の投資に見合う対価の回収と、医薬品産業への国民の理解が不可欠。官民連携による医薬品産業の基盤の底上げが求められる。(幕井梅芳、編集委員・丸山美和)

【求められる結果】限られた財源…「選択と集中」

厚労省が同ビジョンを見直す背景には、医薬品産業を取り巻く環境変化と、財政事情という二つの要因が挙げられる。

世界的な新型コロナウイルス感染症拡大に伴うワクチン・治療薬開発への期待の高まりや、技術の進展による創薬の高度化・効率化など創薬開発の競争激化はめまぐるしい。また、医薬品の供給網のグローバル化による安定供給リスクの上昇や国内回帰への要請が高まっていることも挙げられる。

「適切な対価の回収」重視

こうした環境変化は表面上の要因で、実はもうひとつある。厚労省の担当者は「限られた財源のなかで、選択と集中という手段しかない」(医政局経済課)と本音を吐露する。それを象徴するように、新ビジョンの中に「ビジョンの実現のためには、企業における投資に見合った適切な対価の回収が見込めることが重要」という文言を盛り込んだ。医薬品産業ビジョンの中に、こうした文言が盛られるのは、異例ともいえる。

薬価制度改革の実施により、21年度から薬価見直しが毎年導入され、医薬品メーカーは一層の効率経営を求められている。制度改革の背景には、財政当局から一段の財源の効率化を指摘されていることがある。こうした状況に、ある厚労省幹部は「蛇口を絞っておいて、早く結果(革新的創薬開発)をだせ、というのもどうか」となげく。厳しい財政事情がビジョンに影を落としている。

一方、医薬品産業ビジョンの改訂を受け、米国研究製薬工業協会(PhRMA、ファルマ)や日本製薬工業協会はともに同ビジョン策定を歓迎すると表明。各施策の実行に協力する姿勢を示した。

コロナ対応遅れ、教訓に…強固な創薬システムを

革新的な創薬が産業や経済の発展に寄与するとされた点については、「ベンチャーやアカデミアの持つ有望なシーズを産官学が協働して実用化へとつなげていく創薬エコシステムを構築することが不可欠」(岡田安史日本製薬工業協会会長)とコメント。新薬が適切に評価され、得られた収益が再投資されることでシステムが機能することから、「特に新薬は特許期間中に薬価が維持される仕組みが、医薬品産業を支える生命線」と述べた。

8年ぶり改訂の「医薬品産業の政策指針」に盛り込まれた異例の文言

武田薬品工業も創薬エコシステムの構築は不可欠とし、「当社は、ビジョン実現に必要な改革についての議論に積極的にかかわっていくとともに、医薬品産業を支える1社としてその期待をしっかりと受け止め、実現に全力を尽くす」とした。

同じく歓迎と支持を示したアステラス製薬は「特に、新薬の対価(薬価)について、企業における投資に見合った適切な対価の回収の見込みが重要とした点は意義深い」とし、革新的創薬を通じて社会に価値を提供し続けることを強調した。

一方、世界トップクラスのメガファーマが加盟するファルマは、新型コロナにかかわる薬剤で日本政府が後れを取った点にも触れ、「ワクチンや治療薬の開発で目の当たりにしたように、更なるイノベーションや発見を可能にする強固な創薬システムが必要」(ジェームス・フェリシアーノファルマ在日執行委員会委員長)と指摘。「将来的な公衆衛生危機に直面しても耐えうる、柔軟性のある医療制度を確保しておかなければならない」との見解を示した。以前からファルマは「日本においても迅速な新薬承認を可能にする国際的に調和のとれた薬事制度」が必要であることも主張している。

【世界で戦うために】柔軟な軌道修正を

新ビジョンを実現する上で、いくつかの課題がある。

世界的な創薬の開発競争は、常に革新を続けている。その状況を的確に把握し、柔軟に軌道修正しながら取り組みを進める必要がある。そのため、官民で連携しながら、KPI(重要業績評価指標)をいくつか設定した上で、医薬品産業の改革や支援に向け、実践的な対話によるフォローアップが重要となる。

政府の「司令塔」不在…

また、こうした対話の中から政府には、平時・緊急時にかかわらず、機動的な政策が求められる。医薬品産業は、今回の新型コロナワクチンに象徴される安定調達・供給など、経済安全保障の意味合いも強い。これらを政府全体で総合的な対策として実施するには、政府による司令塔機能が不可欠となる。

一方で、医薬品産業政策を進めていくうえで、国民の理解をいかに得ていくかという視点も欠かせない。医薬品産業は単なる一業界の振興政策にとどまらない。国民の健康・生命を担保しつつ、日本の医療の維持・向上と経済発展を両立する使命があるからだ。このため、限られた財源のもと、国民皆保険制度を維持しながら、革新的な医薬品の効果を享受したり、医薬品の品質・安定供給を確保したりする重要性を多くの国民に周知することが改革の前提になる。

「経済安全保障」を最優先

新ビジョンは、革新的創薬と後発医薬品、医薬品流通の3本柱で構成する。これに加えて、後発医薬品などの安定供給を見据えた「経済安全保障」の観点から産業政策を展開していくのが特徴だ。

従来のようにすべての分野を対象とせず、3分野に絞っている。この3分野について、研究開発、薬事承認、製造、流通の各フェーズに応じた施策の課題を挙げた。

研究開発では、ワクチン・治療薬など政策的に優先度の高い領域や分野に予算と人材を集中させる。

薬事承認では、治療薬・ワクチンの効率的かつ迅速な開発のため、承認審査時の海外治験データの活用のあり方や学術分野での研究評価方法の多角化を図るなど、研究開発力の強化につなげる。

製造では安定確保が必要な医薬品のうち、優先度の高いものに関するサプライチェーン(供給網)の把握や構造的リスクを洗い出す。合わせて、企業に在庫積み増しや複数拠点での生産などを要請する方針だ。

日刊工業新聞2021年9月23日